2016/06/13
タイのバンコクを訪れるのは、約17年ぶり。
20年前には、それは頻繁に訪れていました。
今でもタイには通算だと、母国の日本と同じくらいは入国しているんじゃないか、ってほど。
当時のカオサンは今のように観光地化してなくて、純粋にバックパッカーの情報交換および休息の地となっていました。
私もご多分にもれず、西に行っても南に行っても、とりあえずはバンコクに帰るというのがルート。
当時のタイは物価も安く、カオサンでも20バーツで屋台飯が食べられました。
為替は今と変わらないから、60円でお腹いっぱいになれたんです。
カオサンのドミトリーも60バーツくらいで一泊でき、さらに連泊だともっと安くなることもありました。
2016年のバンコクは…。
屋台で似たような食事をしようとすると、2倍の40 バーツほど。
ドミトリーは、子連れではなかなか難しいので今回は利用してないけれど、話によると3倍近い値段になっている模様。
でも、これって大都会バンコクの物価なんですね。
しかも、バンコクでもホワイトカラーで外資系の企業何かに勤めているような人は、屋台なんかではご飯を食べない。
輸入食品が豊富なスーパーで買い物して食卓を彩ったり、エアコンの効いているレストランや、デパートのフードコートなどで食事をとります。
そうなると、日本での価格とほとんど変わりません。
タイ料理であっても日本の8割程度、日本食になれば日本と同じかそれ以上の価格となります。
20年前であればアルバイトで稼いだ日本円をバンコクに持ち込んでゆっくり過ごす、なんてこともできたのですが、今ではタイでもかなりの地方に行かなければ、そんな夢のような日々は不可能。
でも同じタイでも地方に行くと、全く世界が変わります。
トリップアドバイザーで宿の価格を比較しても、一目瞭然。
値段だけでなくモノに関してだって、バンコクの品揃えは東京と変わらないし、東京で買った服を着ていてもちっと目立たない。
顔を見ても同じアジア人だから、喋らなければどこの国の人間かさえ分からない。
世界中の都市部がそうなっていくように、バンコクもまたタイであってタイではない、国際都市へと成長しています。
物価の面だけではなく、文化の面からもそう感じます。
地方出身の私にとっては、東京が日本でなくなって久しいと感じるているのと同じ。
都市には、都市の文化が発達します。
古き良き時代を見た者にとっては少し寂しくも感じますが、都市を国とを切り離して「都市同士でつながる国際化」の声が上がるほど、地球上はどこも都市化が進んでいる。
これはある意味、利便性を求めた人間が望んだ姿。
これからは、海外を放浪する楽しみが、都市から地方へ放浪する楽しみに変わっていくのだろうな、と思います。
日々育っていく子どもたちに対して、国際的に活躍できる人材に育てていくということは、都市化していく世界で活躍できる人材を育てていくということ。
と同時に、新しいビジネスを生み出すということは時に、人々がまだ目を向けきれていない地方に契機を見いだすということなのかもしれません。
今後は子どもたちと一緒に、地方への旅も楽しみたいなぁ。
その不便さとかもどかしさとかが、きっといい経験になってくれるんじゃないかなぁ。
あわよくば、自分なりの何かをそこから感じ取ってもらえたらいいなぁ。
そう感じたバンコクです。