2016/06/13
photo credit: The End via photopin (license)
インドから陸路の国境を通って、パキスタンへ。
早朝から開くのを待っていたイミグレーションも、マイペースな職員に翻弄されて、入国できたのはお昼過ぎ。
その足でバスを乗り継いでラホール、そして一気にラワルピンディーまで。
目的地に着いたころにはもう、すっかり日が暮れていました。
事前に得ていた情報で向かった、ツーリストキャンプサイト。
そこは、旅人に聞いていた話とはだいぶ雰囲気が違っていました。
今では地球上のどこでもスマートフォンのコミュニケーションで入手できる旅の宿情報ですが、当時は逆方向から来てすれ違う旅人たちや、各宿に置いてある「情報ノート」なるもので、新しい情報を入手していました。
その「ツーリストキャンプ」についての情報も1ヵ月以内のもので、当時としたら古くない情報だったのですが、ときには短期間で状況が一変することもあります。
初めての国の初めての町。
しかも疲れで体調が良くない状態で到着した宿。
期待よりも不安のほうが上回ってしまっている、そんな時。
雑魚部屋であるドミトリーの床に座り込んでいたのは、うつろな目をした白人の青年でした。
その腕には、すっかり変色している注射痕。
ああ、この人はもうだめだな。
冷静にそう思いました。
それでも同じ宿の客。
あいさつをするとすごく嬉しそうに、優しい声で、うわごとのように話し出します。
「ああ、あなたはなんて生命力にあふれている」
「ああ、あなたに幸福が降り注ぎますように・・・」
うつむけば、からだ全体がゆらゆら揺れる。
顔をあげればその目は、ずっと遠くのどこかで焦点をむすぶ。
自分の弱さに、抗うことができなかった青年。
おそらくこの青年は、母国に帰ることができなかったでしょう。
バックパッカーにとってドラッグは、日本とは比べ物にならないくらい近い存在。
特にインドからパキスタンにかけては、価格や入手のしやすさなどで、さらにぐっと身近なものになります。
でも、だからこそ。
いつかは帰る旅にするために、自らの意思でドラッグとの適度な距離を保っていかなければなりません。
悪い人間ではないと感じましたが、弱った体を引きずって別の部屋に移りました。
移った部屋のツーリストは、イラン人、マレーシア人、イラク人、そして私。
アジア人ばかりのその部屋で、これもまた旅の疲れのためか、静かに切なくなりつつ、マットレスも無い冷たいコンクリートの床に、ありったけの服をまとって横になったのでした。